言葉と責任−「存在の彼方へ」を読んでみる4/もぐもぐ
 
るを得ないのである。当たり前といえば当たり前過ぎる話である(但し、もともとの議論の文脈では、レヴィナスは「超越」即ち神を探求しており、神は、旧約聖書の叙述に従って、伝統的に時間と空間の外にあるものと考えられてきたところのものである。「出口なし」という表現は、時間と空間の外にある筈のものを、時間と空間の範疇の中でしか考えることができない、という不自由さを指していると思われる。従ってレヴィナスは、単に一般的に、表現というものにつきものの困難を指摘している訳ではない。だが、とりあえず今は、こういった本来の議論の文脈は一旦脇に置いておく)。

この事態を若干整理してこうも述べられている。
「いずれに
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