純粋正義への架橋10/チャオ
 
、()は他者と同一の()の極地に立ちたいと願うのだ。
だが、その考えがいかに、おぼろげで、可能性的なものであるかは、()自身知っている。()は想像する。波で伝達される世界を。波で構成される世界を。
そこで、ふと思い出す。()に可能なのはその真理に対する体験ではなく想像なのだと。

一つの正義の決定化は、一つの世界の断言であり、個人的な見地による独断であることは否めない。だが、それが独断であればあるほどに、不安定で、いびつな形容をする。それでも、断言するもののその強さこそが、一つの真理を縁取っていく。

宇宙が波で出来ている、と言った人と同じ境地には立てない
でも 知ってみた
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