純粋正義への架橋5/チャオ
としても、それはひとつになりえないこともある。
逆に、それひとつで、物ひとつとして押さえ切れないようなものさえも在る。
かつて、ジョンレノンが「ストロベリーフィールズフォーエバー」を歌ったときのように、トムヨークが「2+2=5」を歌うとき、そこには物それ自体としての視点は持ち得ないのだ。その視点は個人的であり、社会から逃れようとし、それにもかかわらず、社会を「秩序だてよう」とする。
個人たす個人が、よりよい社会となるには、その「フィールド」を必要とする。ジョンレノンが社会から逃げ出し、作り上げた歌を社会の中で歌うという意味。彼は「そこで夢見てられ」なくなった。ついに社会が彼を追いたて、彼はそ
[次のページ]
戻る 編 削 Point(0)