純粋正義への架橋5/チャオ
はその社会で個人を歌うことになる。
だが、必ずしもそれがそうだとは限らないし、まちがいであるということもない。当時、それがすべての答えであって、それ以上の意味はなかっただけなのだ。
個人的な正義としての意味以外は。
だが、その個人的答えは、共感性という言葉を持ちえて社会へと発達または退化する。社会へ向けられた個人的言葉を、社会というひとつの器に埋め込む。そのときトムヨークはその歌の中で「ダッテチガウンダカラ!」と叫ぶのだ。
個が個として成り立ち続けることで、社会は無限に大きくなり続ける。決して物体的なものだけに収まることはない。
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