「スウプ」と「ちくわぶ」/渦巻二三五
 
肯定したい気持ちは私にもあります。
けれども私は、それらの詩や文章を読んでも、どうもなにかすり替えられたような、言いくるめられたような気持ちになることがしばしばでした。
共感を呼び込もうとするあまり、強く肯定されるべき日常、つまり平和の象徴としてふさわしいような(虚構の)日常が前提として描かれているのではないか…
今この文章を書いて、自分の心のなかにひっかかっていたことは、そういう「疑い」ではなかったかと思いました。

『Is it good or not?』も、日常の事物を持ち出し日常を肯定しています。でも、私はこの詩には先に述べたようなわだかまりは感じませんでした。
それはなぜなん
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