「スウプ」と「ちくわぶ」/渦巻二三五
なんだろう、とずっと考えていて、ようやく気がつきました。
私は、「スウプ」に混沌としたいかがわしさを感じていたのです。誠実と無垢だけではないのが平和な日常なのです。
肯定されるべき日常の事物は、日常のなかにあって常に善であるとは限らない。それでも肯定する。
同時に地獄への入り口であるような極楽への入り口を、私は「スウプ」に見たのだと思います。
(2003.5.21)
「シュレディンガーの猫」を殺さないために、その死を決定づけるのを避けるために、世界に触れない、のではないですか? いとうさん。
観察者であるということで、それを決定してしまうとしても。それさえも罪であると思ったとし
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