僕はこんな事を考えている。/プル式
ら。意思を分配している一つの塊がある。と言うのはどうだろう。そう考えれば、輪廻の際に分配の方法が見えてくる。しかし、それこそが神なのでは無いのか?という壁。でさらに考える。古代宗教には自然界との共存と言うよりも共同体としての認識が強い。そうしてそれを大いなる意思(神の始まりですな)と見たりしていた。つまり、圧倒的に自然が有力で、人間はその配下的なポジションなのだ。でね、昔の、輪廻とか出来たより前の意識を想像するに、というか、今でも残っている思想だけど「死ぬと自然に帰る」と言う考えに行き着いたわけです。力の元に戻る。力の分配元に帰る。これなんじゃないかと。つまり、これこそが輪廻の輪廻たる仕組みなので
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