エドワード・W・サイードと金縛りと追記/んなこたーない
 
商売になるからである。
 反戦、反核、その他もろもろがひとつの良心的ポーズであり、一種の迎合になるような状況で
 「戦争の必要性を説く議論」が大手を振ってまかり通るはずはない。
 たとえば、戦争の必要性を説く、権力側の知識人の名を、ぼくらは一体いくつ知っているだろう?
 サイードや、サイードが高く評価するチョムスキーなどの方が圧倒的に知名度、影響力があるのではないのか?
 かれらの方が、よっぽど権威と聖職者の威光を身にまとっているのではないのか?
 このような状況で、サイードのいう「周辺的存在」でありつづけるということは、一体何を意味するだろう?


「金縛りとは何か」


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