エドワード・W・サイードと金縛りと追記/んなこたーない
つつしむべきなのである」
・ぼくのサイードにたいする違和感は、現実認識のズレからきているのではないかと思う。
たとえばサイードは次のようにいう。
「知識人が個人として主体的に代弁=表象をおこなえる空間、
たとえば戦争の必要性を説く議論にむけて、また、たとえばヒモつきの契約と褒章によって
賛同を得ようとする大がかりな社会プログラムなどにむけて、疑問をつきつけ、
議論をふっかけるための空間は、劇的な縮小にみまわれた」
日本の言論界を見回してみれば、反政府、反大企業、反権力の大安売りで、
なぜかといえば、それが読むひとたちの気に入るからで、すなわち、商売
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