エドワード・W・サイードと金縛りと追記/んなこたーない
くまで弱者側につくべきであるというサイードの議論は、
端的にサルトルの流れを汲むもので、左寄り、といってしまえばそれまでだが、
要するに権力=絶対悪という固定観念が前提にある。
(サイードは序文で、本書の内容が左翼的であるという指摘にたいして、この本のなかで頻繁にひきあいにだされている
ジュリアン・バンダは右翼陣営に属している、とか、何だか訳の分からない釈明を書いているが)
しかし、これがサイード自身が嫌悪する「ドグマ」でなくてなんであろう?
かれ自身の言葉を借りれば、「いっぽうの側を善であり、もういっぽうの側を悪と決めつけるような分析は、
真の知的分析においてはつつ
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