エドワード・W・サイードと金縛りと追記/んなこたーない
というのは、あくまで自分で自分の書いた文章を読むからそう思うだけの話であって、
それが他のひとにどう読まれるかは、最終的に書き手と読み手、相互の歩み寄り如何である。
一口に「現実」といっても、いくつもの対立や矛盾を孕んでいる。
サイードの議論は、たとえば、レーガン以降保守化を強めているといわれる
アメリカでは有効なものかもしれないが、
その「現実」を、そのまま日本の「現実」にあてはめて考えてみると、
ぼくは大いに疑問を感じざるをえない。ぼくが言いたかったのはそういうことである。
知識人たるべきもの「周辺的存在」でなければならぬ、とサイードは主張するが、
こっちでは「周辺」でも、
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