ゴッホ『刈入れする人』について/ケンディ
それらがそれら以外の複雑な風景の描写のための
助けとなり、また鑑賞者が全体を迫真あるものとして
眺めるための助けとなっている。
この絵でゴッホは、その形式にあまり
とらわれていない。彼のこの風景画は、
私たちに、陸と空がこちら側から向こう側へと
走っていく連続性を認識して、
絵画全体を綜合することを許さない。
少なくともこの作品はそうだ。
この風景画は風景画であって風景画でないのだ。
絵画全体の綜合を許さない彼の絵は、
インパクトある一部を、自然に突出させる
という効果をもっている。
したがってどうしてもイレギュラーに、
非連続的に
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