ゴッホ『刈入れする人』について/ケンディ
的に蠢く小麦に目が行く。
ゆえにこの蠢く小麦は重力をもっている。
どうしてもそこに目が向いてしまう。引きつける。
したがってこの絵の中で小麦畑は断絶でもある。
全体の景色を俯瞰しようとするならば、
小麦畑は立ちはだかってくる。
向こう側の丘陵を見ようとする者にとっては、
何か邪魔に思えてしまう。
もう少し要約的に言うならば、
絵画全体を綜合して俯瞰しようとするならば、
小麦畑がこの風景画の連続性を遮断するのである。
絵画を全体として把握(begreifen)しようとする
私たちの認識を切断する小麦畑と、
農夫は黙々と小麦を鎌でさっさっと払って戦っている。
連続性を求める認識を切断し、
イレギュラーに動く命が
小麦畑としてシンボル化されていると思った。
農夫も小麦畑と同質であるということだ。
この小さき朦朧とした人物に、ゴッホは
何を託したのか。
けなげに黙々と作業に取り組んで
いるようにも見えるし、ゴッホ自身が
述べているように小麦と戦っているようにも見える。
戻る 編 削 Point(3)