ゴッホ『刈入れする人』について/ケンディ
 
かりなのに、
なぜ小麦のゆらぎが分かるのだろう。

長く見つめていると、この小麦は動き出す。
目の錯覚、と思うならば、また(2)から(4)の間を
絵は行ったり来たり揺れ動いてしまう。
ゴッホの表現したかったはずである(1)=生命には
たどり着けない。
小麦の揺れは、瞬間において凝縮されて
表現されている。
連続性・時間が瞬間・無時間の
フォーマットに凝縮されている。

なんと小麦の強調された絵か。
これまでいろんな風景画を見てきたが、
風景の下地としてよく見られるのは、
陸・海・空だろう。
陸と空が、こちら側から向こう側へと
走っているようにして描かれ、

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