ゴッホ『刈入れする人』について/ケンディ
 
蠢きはどちらとも捉えられる:憎悪か、愛か。

しかし、どちらでもないつまり中性であるなどとは
いいたくない。
そう言ってしまったら命は
たちまちのうちに消えてしまうような
気がするからだ。

生命(1)は、その瞬間にゴッホの絵(2)となり、
作者のコンテクストが抜け落ちた
目の前の絵(3)となり、
絵の具の塗りつけられた物質の
かたまり(4)となる。

ゴッホの絵は、
私の目の前で、(2)から(4)の間を
行ったり来たりしている。

この絵を見ていると、どうしてもこの
黄金色の小麦に目がいってしまう。
この部分ばかり眺めてしまう。
すべて黄色系統の色ばかり
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