猫とたんぽぽ再び&感動に関するまとまらない考察/佐々宝砂
 
風景である」ということに尽きます。

ただいまの第一の疑問は「なぜこの手の話は受けるのか」ということです。また、もし感動が訓練ならば、なぜ同じたぐいの話に食傷するという現象があるのか。日常のなんでもない風景に対する感動と、おおげさでダイナミックな映画なんかに対する感動と、何がどう違うのか。

あるいはものすごく小さなイキモノ(田んぼの水に住む顕微鏡サイズのエビとか)が、生きて動いてものを食って生殖しているという単純にして複雑な科学的事実に、ふと感動する、この感動とあの感動とその感動は、いったい何が違うのか。

とにかくなんか違うとは思うのですが、うまく言えません。まだ考えがまとま
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