殺し屋ボルカ/m.qyi
 
が思うことに、客観性とか意味とか言うが、大変主観的な見方しかできない時代(世紀)に育って、相対的な価値観しかもてないぼく(ら)の詩は内面を突き詰めてもいい、というよりそれが当然だ、挙句の果てに、その内面は内容から言えば全くのからっぽなんだってことももっとわかってていい。じゃあ、どうすりゃいいんだろう? そこに共感したんだ。ぶっきらぼうに、「ぶうっ」というのは、こじつけにしたってなんにしたって、たいへんショウジキでジョウシキで、ぼくは偉いと思う。偉いだけじゃない、事実だ。車は実際に殺し屋ボルカの言うように走ってきた、歴史的事実を載せて、拳銃も載せて。

これだけ褒めて一言批判を言わせてもらえば、
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