「ネット詩」の思い出/渦巻二三五
 
答えられるように、自分を「統合」しようとする気持ちが出てくるのではないでしょうか。
 ネットでは、技量も主義も作風もさまざまな作品が並列にあります。また、一人の人間のなかにも、さまざまな部分がときに矛盾しながらあるけれど、それぞれに合った場所や時間や方法を選んで作品を発表できます。それは自分を統合することなく自分を表現できるということでもあるように思います。
 そんなところからも、「ネット詩」の得体の知れなさ、のようなものが感じ取られていたのかもしれないなぁと、これは私の想像ですけれど。

 「ネット詩」という言葉は詩誌などからやがてネットでも発表するようになった人たちから持ち込まれたと私
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