バカの壁と知識人はどうでもよくて…/カスラ
 
カスラ某)ではない。また、考えているのは「われわれ」ではない。論理の仮借なさに促されそれがそうなり、それ以外とはならない。「わかる」ということが「わかる」のもまた「われわれ」ではない。論理が論理自身の必然性に叶う時、「わかる」という「感覚」で、自身に証し立てる「論理思考を自動的に自己発動してしまう機械(システム)」は頭の内のみならず、あらゆる事物に内在している。以上のようなヘーゲルの大・小論理学を読んでそうわかったとき、頭は壊れそうで、興奮して三日は眠れなくなった。


私たちは常識として、あるいはどういう訳か、自分が何もわかっていないことを分かった。そして、自分は何かを分かっていると勘違い
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