佐々宝砂作「よもつしこめになるために」を読んで。/カスラ
 
存在する」のコトバに影響されたひとはすべて、イデオロギーだの趣味だの嗜好だのを越えて、同じ場所で出逢うのだと私は信じている。たとえ、最後の橋が焼け落ちたとしても。いつかきっと。」(作者:異形の詩歴書より)


女性は男にとって、何時も向こう岸の存在ではあっても、「女はおんなである、ただそれだけで、うつくしいのだ。」これは何を論じたことにもならぬ私の勝手な持論であるが、その言葉に出会い魅了され、信じているというその人にこそ届けられるべき言葉なのだ。
言葉に憑かれた者を逆説として「醜女」と比喩し、自らも黄泉の国の主となることを欲する。それはある種の言葉とは、それを必要とする人を呼び合い、自他の
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