佐々宝砂作「よもつしこめになるために」を読んで。/カスラ
他の区別を越えて在るという事実の不思議を考えさせる。
ワタシが言葉を語っているのではなく、言葉がワタシを語っているのだと気がつく瞬間というのは、人間にとって、少なからず驚きである。
そもそも人間が言葉を所有するということは、考えるほどに、やはり何か凄いことである。【2001年宇宙の旅】の黒い直方体のようなモノリスを思い浮かべて欲しい。映画では、ビッグバンによって宇宙が発生して、惑星地球が生成し、ホモサピエンスが生まれ、立ち上がり、その時、暗黒の彼方から飛来したモノリスが、道具を手にさせたのだったが、本当はあのとき【言葉】を与えたのではなかろうか。自然発生的にではなく、唐突の絶対的な出来事として。そのことがはっきりと感得される時、私は【凄い】という一種間の抜けたような感慨を抱く。もう茫然としている以外どうしょうもない感覚。
作品が作者ではないと言明されつつも、向こう側に出逢うと、まさにその言葉によって、言葉を命と知るが故にそう生きざるを得なかった者たちの約束の場所は現れる。
そうして私も黄泉戸喫したものとなり今日もこの人の稀有な言葉を待っている。
…§…
戻る 編 削 Point(2)