佐々宝砂作「よもつしこめになるために」を読んで。/カスラ
 
黄泉醜女」と作者は比喩していて、女であることの哀しみを、女として生きてゆかざるを得ないそのさがを、浅ましく醜いものであるとだけ詠んでいるのではもちろんあるまい。

神話の中で伊邪那美は、黄泉の暗闇の中、見てはならないという約束を破り、自分の蛆わき朽ちたる忌まわしき身体を知ってしまった夫、イザナギに対して「汝の国に新たに生まれし者を千人殺そうぞ」と呪詛し、それに対してイザナギは「それでは私は千五百の新たなる産み家を建てよう」と宣言する。この場面から、古代の母系型社会は、男を中心とする父系型社会に移行するさまを観て取れると学者らは賢らにいうのであるが、最後の「四」で主体が、黄泉戸喫として喰らう黄泉
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