佐々宝砂作「よもつしこめになるために」を読んで。/カスラ
 
教以前のものである。制度としての宗教や、知る営みとしての哲学や科学が、この不可知な何ものかに対するそれぞれの態度の取り方であるのなら、このような感覚こそ、人類の一切がそこから発生する母胎であろう。それは謎である。しかしそれは懐かしい。しかし同時にそれは、畏ろしい。


表題、「黄泉醜女(ヨモツシコメ)」とは、死んで黄泉の国の住人となった〈イザナミ〉が放った女の死客の名である。詩中はこのような聞き慣れない、いくつかの神代の言葉で彩られている。古事記では、死者の国である黄泉へ入り、そこの食物を食べることを(黄泉戸喫・ヨモツヘグイ)といい、そうすることにより、再び人間界(豊葦原・トヨアシハラ)に
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