空飛ぶ機械のための習作/はらだまさる
 
態(=機械)であるのか。それを把握することが、客観の入り口である。イライラしている機械なのか、怒っている機械なのか、悲しんでいる機械なのか。
 あなたはその機械で在り続けるために、「四・八の利」のどれかをガッポリ儲けているだろう。イライラし続けたくなどないくせに、イライラしている。誰にでも経験のあることだと思うけれど、イライラしたり、怒ったり、悲しんだり、恨んだりしてる時間のもったいなさったらないだろう。
 なぜ、もったいないのか。その悲しんでる時間がまずもったいない。ぼくは最近、夢についてよく考えるのだけれど、例えば単純な話、十年とかのスパンでその悲しんだり、イライラして無駄に過ごす時間を想
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