健全という幻想と病いとしての夢物語/百(ももと読みます)
 
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 ぼくは今日、致命的なあやまちに気づいたのです。



 命がどこにあるのかわからないときに誰かについて考えることの険しさからの言い逃れ、そのために精神的な偏りへの主張が必要なのではないのかと。



 生まれもった性質ならば、負であることを隠さねば、生きることの荒波を超えてゆけないのは明白です。



 自傷に自称を重ねるように敢えて名のつく病いごとを普遍と置き換えるのならば、こころの病いは無に変換するべきです。



 生きづらさの証明は生きていることそのものですから、ぼくは多くのあやまちを言葉に乗せた罪として、病気を社会へと返還させるためにも
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