2006 10/29 23:59
れつら
え、エンターテイナーでいたいならエンターテインだけしていればいいのではないのですか?
なんか別の思想とか方法とかを持ちながらなんやかやできるほど、
エンターテイメントは甘くない。
さて、それはそれとしてなんか面白いことになっているようなのでひとつ、自分のスタンスを。
舞台に立つと、どうしようもなく「他者」を感じます。
この現象に全くおなじように共有できない、ということを。
皆さんは写真の何に感動するか、考えたことはおありでしょうか。
諸事情あって写真の練習をしているんですが、
自分が出会った感動的な風景が、
ファインダーを通した瞬間に全く凡庸なものになったりすることがよくあります。
フォーカスが合ったものに感動していたのではなく、
フレームの外に自分を感動させる要素が実はあったのだ、と気付いて、
2、3歩引いて構えると、全てを汲み取ることは出来ても全然自分は感動できない。
結局、出来上がったものは凡庸な風景写真になってしまう。
自分が朗読/ポエトリーリーディング/スポークンワーズでやりたいと思うのは、
現象の共有です。
部長に「谷君はなにをやっても谷君なんだよね」といわれたのは、
そういう意味においては全くそうで、
谷竜一/れつらというアンプを通して鳴る音を楽しめれば、それでよいと思うのです。
そこに立ち上がる音像を共有して、必要な現象と情報を聞く人が再構築する、
そのための再生システムでありたいと思うのです。パフォーマーとしては。
具体的に言うと、谷竜一/れつらの作品がおなじフォーマットに存在すること、
それによって聞く側に安心感を与えること。
そして技術的な鍛錬でもって、過剰な自意識を排除すること。
結果的に再生されたものが、
音像としての(好き/嫌いを別にした)クオリティを保つこと。
あとは、好きにやる。
何が言いたいのかわからなくなってきました。笑。
>>137に対するレスレスで〆ようっと。
そういうわけで、ぬ様のおっしゃる間のとりかたは甘かった。
ついカッとなってやった。今は反省している。
Audacityのタイムラインが視界にあるとつい焦ってしまう。よくないよくない。
でも、部長の「作者の朗読が聴いてみたい」と言わしめたのは、だからきっと正解。
とりあえずの成功、と言っておきます。
mizu_kさんありがとうございました。
いい詩だからみんなも読もう!