多様化する倫理観[284]
2005 04/24 09:29
不老産兄弟

児童ポルノを肯定する側に対して疑問に思うことは、子供達が危険にさらされているという主張に対して、それを愛好する人々の人権侵害という意見は数多く見られるものの、そもそもの訴えである危険性についての考察を目にする機会が圧倒的に少ないことです。彼らの権利を主張したいのであれば、内部からその安全性や有用性に反対に訴えていく努力がなされるべきだというのが個人的な意見です。たとえば、ゲイは彼等自身の人権を擁護するために、その必要性、必然性について訴えてきましたし、SM愛好者達は、その行為の安全性、セーフセックスの考察と言った、内部からの動きが見て取れるように思います。しかし、小児愛好者の内部から、そういった努力を目にすることは稀で、むしろ目をそむけているようにも思えます。これでは危険性を訴えている人々の不安を強め、お互いの溝をさらに深めてしまうのではないでしょうか。こう考えると、児童ポルノが規制されること自体、彼らの人権の侵害になるかと言うことについても疑問を抱かざるをえません。なぜなら、法律によって性の対象である子供達、またはその周囲の人々が安心できるのであれば、結果としてそれが小児愛好者自身の人権保護にもつながるのではないかと思うからです。

このあたりがまだ自分のなかでしっくりこないんです。
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