2005 12/18 03:58
佐々宝砂
私、自分の詩の価値にほとんど興味ない。
私の詩の価値が低くても私の価値が下がるわけではない。
逆に詩の価値が高くても、私の価値がそんなに上がるわけでもない。
ってゆーか、「私の価値」は私にとって高いに決まっているのだ。
私は自分が大切です。あったりまえだっちゅうの。
私の価値とは全く無関係なところで、私の詩の価値が決まる。
私ではなく誰かが決める。それでいいと思うし、
私の詩はいったん発表されたらその価値を決定づけるのは私じゃない。
他人にどう思われてるか気にして、結果、いい場合もあれば悪い場合もあるけれど、
あまり気にすると疲れるんでほどほどにしとくのが無難ではないのかね。
私は、批評が作者のためにあるとは思ってない。批評はときとして作者を傷付けるが、それゆえに「批評は作者のためにあるわけじゃない」と思うのではない。私は、作者から離れたところで書かれた、独立した「作品」としての批評を読みたい。じゅんすいに一人の批評を読む読者としてそう思うのだが、ひとりの詩作者として、いや、ひとりのインターネットの住人、現代詩フォーラムの一員としては、まだ独立批評ってぜったい無理よねと考える。そう諦観した気分でもなく。