雑談スレッド2[45]
11/08 11:27
佐々宝砂

浜崎あゆみのこと、私は好きでないのです。もちろんそれが好きなひとが
いるのは承知で、ひとの好みはいろいろよねくらいに思っています。
浜崎あゆみが好きなあざれあさん、ごめんなさいです。
私はドアーズがめっちゃ好きですが、ドアーズが嫌いな方もおりましょう。
こういう好みの相違は、ある程度、お互い様です。ミーハーもお互い様です。
(私はかなりミーハーな人間です)
私の(またTAKEさんの)書き方のどこに問題があるかとゆーと、自分の好みを
押し出して「よくない詩」の代表として浜崎あゆみの名をあげつらった点に
ありましょう。浜崎ファンに謝ります。
とはいえ、私と山せばさんのコメントは横レスというべきものであって
たもつさんの作品には直接の関係を持たないものだと思います、
あと私のコメントをよく読んでくださるとわかると思うのですが、
私のコメントのなかで卑下されているのは「私の詩」です、念のため。

というわけで、浜崎あゆみは脇にどけて、レスの本流に戻ります。
たもつさんの「透明人間と」のことが私は好きですし、詩として買ってますし、
以前にほかの場所で簡単な批評を書いてもいます。

たもつさんの詩が、いとうさんのいうように「深い」のか、それとも、
TAKEさんのいうように「実在の人間」を書いてない「奇妙キテレツ」な詩なのか、
私は判断をさしひかえておきます。なぜなら、私は、詩に「深さ」を求めないし、
「実在の人間」を求めないし、「奇妙キテレツ」ときたら大好物なんですから。
詩になにを求めるかは、読者によって大きく変わります。
詩になにを読み取るかは、どんな詩であっても読者によって異なります。
また、時代によっても大きく変わります。

たとえば、たもつさんの詩を読んで私が思い出したのは村上春樹でした。
(村上春樹を引き合いに出すことが、失礼ではないことを祈ります)
村上春樹は、「人生に必要なことはみんな『カラマーゾフの兄弟』に載ってる、
でもそれだけじゃ足りないんだ」という意味のことを書いています。
「実在の人間」を深く重狂おしく書くのならば、もう昔のひとびとがやっております。
それをわかって、私たちはそれでもなおかつなにかを書こうとします。
たもつさんは、マラルメ(ほかの詩人でもいいです)では足りない何かを書こうと
しているのではないでしょうか。

あと、蛇足です。
TAKEさん、ウェブで何かをえらそーにしゃべっておいて、
「私は単なる読者であって指導的な立場にいない」と逃げ切ることは難しいですよ。
私もかつてエラソに喋ったあげくそうやって逃げようとしたのですが、無理でした。
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