01/03 09:38
佐々宝砂
朝から箱根駅伝を見ながら書いていたり。私はけっこうスポーツ観戦が好きです。きっぱりと勝ち負けが出るから。そして国語よりも歴史が、歴史よりも地理が、地理よりも理科が好きです。地理や理科は、答が歴史や国語ほど曖昧でないから。
そういう性格なので、私は断定が好きです。でも私は、できるだけ文章の最後に「思う」だの「考えます」だのをつけることにしています。主語もなるべく省略しません(私、「日本語に主語はない」派の考えに同調してまして、主語を省略しない書き方は好きでないのですが)。かつては「と私は思う」をつけなかったのですけど、インターネットに入ってつけるようになりました。むしろ「私は」をつけた方が責任の所在がはっきりするように思うからです。私の文章の責任はもちろん私自身にあります。他の人にはない。それは当たり前のことなんだけれど、そんな当たり前のことがこのネット世界では通じないのかもしれないと思い始めています。自分の文章に責任を持たないひとびとのたくさんの文章が、世にはあふれています。また、「私は」という主語を省くと、文章の内容を誤解するひとがたくさんいます。かつて、私が何を書いても「私のことを書いている」と誤解してメールを送ってきたひとがいました。「と思う」をつけないで書くと「世の中みんながそうだというか!」と噛みつくひとがいました(もっとも、噛みつくひとは、私が何を書いても噛みつきます)。このように、「と私は思う」という簡単な言葉ひとつとったって、その内容とスタイルは不可分です。と、私は思います(笑)。