01/02 10:15
佐々宝砂
奥主さんの意見を読んで、ふむなるほど、そういうこともあるのだろうから私はもっと発言の奥をくみ取らなくちゃな、と反省しました。とりわけ「発言の趣旨を汲み取ろうとする方は汲み取り、スタイルへの反感といったことで相手の意見を拒否してしまう人は、何がどうあろうと拒否するものなのだなと感じたからです。」という発言にものすごく納得し、私は猛省しなくちゃならんと考えます。
しかし、いとうさんの意見には、どことなく気持ちの悪いものを感じます。方法論的には納得しますし、私もいとうさんと似たような手法をとっているのですが、なんか気持ちが悪いのです。
お断りしておきますけど、私が「吐け」と言ったのは「暴論」です。「暴言」ではありません。一般常識からかけ離れた感覚でもって、普通は思いもよらないような視点で、乱暴に世界をぶったぎるような暴論、脳みそフル活用で考え込んでからでなくては書けないような暴論です。ひとがいやがる言葉をひとこと吐き捨てれば済む「暴言」なんて、そんなもの、世の中にはあふれかえっているでしょう? そんなもの、詩人でなくても吐けますよ。私のいう「暴論」は、別段「暴言」スタイルをとっているとは限らないのです。
最初はなんていい意見だろうと思ったものが、「よく読んでみたら暴論だった」ということだってありえます。丁寧で優しげなスタイルで、読む人の感情を逆撫でせず、ケンカにもならず、的確な批判とわかりやすい理屈で、さまざまな視点・立場からの見解を総合したかに見える非常にまっとうだと思える理論が、実はおっとろしい暴論だった、なんてことは歴史上珍しくもなんともない。暴論の具体例は、戦中の新聞雑誌のたぐいを読むといっぱいでてきます。今現在の新聞にも載ってます。人殺しなんかしないよ、という顔をして。発言する本人ですら、自分の発言の暴論性に気づかずに。
狸亭さんのおっしゃるようにスタイルと内容は不可分だと、私も思います。いとうさんがおとりになる、また私自身も実行しているどこか気持ちわるいスタイルは、どんな内容をはらみ、どこに続いていると思いますか。なんとなく、ガスの匂いがしてきませんか。私は、自分自身の過去の文章を読んでガスくさいなあと思うことが多くなりました。ガス室行きはいやです。ガス室に誰かを送り込むのも、いやです。なんとかこのガスの匂いをとりのぞきたいのですが、うまくいきません。私は自分のスタイルを変えなくてはならないと考え始めています。