廃人がポツリとつぶやく部屋13[157]
2011 12/27 03:53
只野亜峰

稼ぎ時だからって仕事を掛け持ちしたせいでなかなか流れに追いつけませんよっと。
確かにいい加減スレチですし別で続けても良いんですけど移ってまでするような話題でもないような気もしたりで
個人的には結構面白いんですけれども忙しくてあんまり反応できないので勝手に収束する気がします。

というか>>155の書き込みで狐蓬さんの言わんとしてる事がなんとなくわかったのでもうあんまり語る事もないような気がします。
>評価しつつも、貴賤貧富賢愚聖俗の別なく、人間の本質性や「無意識の偽善」などに考えが及んで、醒めた感覚になるのです。
>あるのは、人間の業や原罪に嘆息する感情です。

「富みし者は持たざる者に分け与えるべき義務がある」かっこよかったですね伊勢谷友介扮する白洲次郎。
ノブレスオブリッジの語義もかいつまんだところなら知ってたんですが拡大解釈は僕の悪い癖でもありますな。
まぁ、高貴なる義務というかやんごとなき何かの体現者であるという認識は変わりませんが。
まぁ、だから現人神なんていう言葉があるんでしょうけども。

まぁ、何せ言いたかったのは与えられた役割を履行するという行為に善や偽善という概念が介入する余地があるかかどうかという事で
そこは僕は懐疑的ですよという話だったわけです。働き蜂が女王蜂に蜜を運ぶのは善行じゃないですし。

まぁ、偽善に関しても拡大解釈が過ぎたというのも確かにその通りではあるのですが、
>『嗟来の食』を「『偽善』そのもの」と言ってしまう(>>150)と、人の行為はすべて「『偽善』そのもの」になってしまいます。
ある意味僕はそんな風に捉えているのかもわかりませんな。
善行に限らず人間の意思決定ってある程度生理的な戦略性とかしたたかさにどうしたって支配されるでしょうし、
それは人間が生き物である限り付きまとう宿命とも言えるような気もします。
だからこそ宗教人は修行するのでしょうし。

そんなわけで「無意識の偽善」なる言葉にそのあたりの意味を求めたわけですが
やっぱり三四郎読まないとなんとも言えないので後でこっそり買ってきます。

まぁ、いずれにせよ「生きていてくれてありがとう」に対する解釈はお互いに異なるようですな。
言葉の奥底に見る人間の本質とやらもなんだか違うものが見えてるような気がしますし本質に対する解釈もたぶん違うような気がします。
もしかすると僕は「これが人間の原罪です!どーん!」なんて持ってこられてもはぁそうですかみたいに返す感じの冷めた人間なのかもしれませんね。
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