2011 12/26 00:54
只野亜峰
>>151
終わったつもりでいたんですがまだ続いていたんですね。
それぞれの言葉に対する解釈とかが僕らにあまり共通してない事はこれまでのやりとりでよくわかっていたような気がしますが続けるのであればそれもまた一興かな。
>人の心理の機微にかかる所の理解が不足しているように存じます。
まぁ、僕自身が人としてどうかは置いておくとして偽善という言葉の定義には思慮の浅い善行も内包されていたように記憶しています。
残念な事にボランティア活動なんかにせいをだす人達はよくこういった嘲笑の的に晒されたりもしますね。
(もちろん彼らが偽善者なんていうつもりはさらさらないですが)
そういった醜態な奢りを内包した善行は「無意識の」なんていう言葉を加えるまでもなく
「偽善」という言葉で解されていると理解していましたがお互いに解釈が異なったようですね。
そもそも僕は
>>133で偽善どころか善意ですらないって言ったような気がするんですが。
ノブレスオブリージュ本義の意味なんて英語ネイティブでもないので正確にはわからんですが
無私を貫き国の安寧と民の平和を願う国民の象徴たる事が日本の皇族に求められるあり方であるなら
その義務を全うするための皇族たらんとする皇室はノブレスオブリッジの体現者と認識して問題ないような気がしますがね。
逆に言えば(これこそ不敬極まる発言ですが)被災地を慰問しながら被災生存者の生に感謝できない皇后なんていうものは存在意義が無いわけです。
伊藤さんが「国母」という言葉をどういった意図で持ち出されたのかわかりませんが
そのまま「国民の母たる存在」という意味で使われたんじゃないかと想いますが
子の幸せを願わない母なんていないでしょうし、そこに偽善だの善行だのいう概念が介入すると思う事自体に違和感を感じなくもないです。
まぁ、もちろんここでいう母というのは比喩ですから母たらんと振る舞う事自体がすでに「演技」や「偽善」であるというならわかるんですがね。
そうなると発言云々じゃなくてただの皇族のあり方に対する疑念っていう話になってくるような気もしますが。