廃人がポツリとつぶやく部屋9[434]
2008 11/04 22:52
白井明大

こんばんは。

ちょっと長いのですが、気持ちのうえではポツリと書いてみます。詩について述べ合うときのことについてです。

雑談スレッド6軒目で、蛾兆ボルカさんがこんなふうに書いてらっしゃいます(スレッド番号954)。

>批評を黙って受け取るのは正しい姿勢だってゆうようなことが、一部の人にはあたかも
>当然のように思われてるフシがあると思うんだけど、そんなの全然当然じゃないと思います。
>
>誰だって何がしかの人生を生きて、それなりの結実として言葉を口にするわけでしょう?
>それを否定されたとき、怒るのはむしろ当然で、怒らない、というのは本当は怒れないん
>じゃないだろうか。

この現代詩フォーラムで詩を書いている人は、たとえば「こっそりと」詩を書いています。たとえば、自分の詩を批評できるのは二人だけとおっしゃっています。またたとえばある人は、詩人が詩を書くときはひとり孤独だから、せめて月に一度集まれる場をつくりたいとおっしゃっています。

詩人が、一篇の詩を書くとき、その行為は往々にして秘め事であり、そのとき書き手は孤独であり、そして書かれた詩は、むきだしの詩こころ(ポエジー/詩性)のまま丸裸です。

その、たったひとりそっと書いたものが、この現代詩フォーラムという場へアップされます。じぶんはこれを書きたいと思った。でもこれが人からはどう見られるのだろうか。はたしてこれはちゃんとした作品になっただろうか。いや、そもそも詩だろうか……と、こころの不安や疑問やふるえや葛藤などが無数にあるはずです。

ほめられたとしてもどぎまぎするでしょう。批評でとりあげられ、時に批判の対象になれば傷ついたり腹が立ったりもすることがあるでしょう。それはけっして初心者にかぎらず、つねにではないにせよ、素直に受け入れられる人もいらっしゃるにせよ、それでも、だれにでもしぜんに湧き起こりうる感情だと思われます。それが批評や批判どころか、誤字や誤用であったときはなおさら、内心は動揺することもあるかもしれません。

そうした書き手の気持ちを慮りながら、そのうえで詩についてやりとりをするということは、詩の読み手の側の態度として大事にされてよいことのように思っています。

たとえば、417で伊藤透雪さんがふれていらっしゃることですが、おつきあいがある相手であったり、たがいの信頼関係があったりするなかで詩をめぐるやりとりがなされたなら、書き手も読み手も、おだやかに受け入れやすくなることがあるかもしれません。こうしたSNSであるのなら、ネット上の通りすがりの匿名の会話と異なり、たがいに関係性を築くことや、信頼関係を育てていくことがしやすい環境にあるとも思えます。

生の詩こころがむきだしになっているものがそこにある詩だとしたとき、書き手は時に、とても傷つきやすい状態にあるのではないか、と想像することが大事なように思います。

こうして述べておりますのは、自分の詩に否定的な言説があり、その言説をきっかけとして衝突が起きた場合、詩に対し否定的な言説をした側に問題があるなどと言いたいわけではありません。

詩についてやりとりすることは、あらわになった心そのものについてやりとりすることに等しいと確認しておきたいためです。せっかくの詩のSNSなのですし、ゆるやかなつながりのなかで、詩を深め合っていきたいと思っております。
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