ケータイ優先スレ2[659]
2010 08/22 23:52
小池房枝

ある本で、自己と、メタ自己との話。「個人」とは何か、ひとはどこからどこまでが自分か、という話から、まずひとは他から左右されまくりだよね、という大前提。例えば親からの刷り込み、学校教育、付き合っている友達、マスメディア、それぞれの属する文化、宗教、社会、等々。だけど影響を受けつつもその影響の程度や取捨選択を自分の感情や判断に基づいて制御している自分というものもやはりあるはずで、それを仮にメタ自己とでも呼んでおくのだけど実はメタ自己というのはその存在が明らかにされたことは一度もない。まぁそりゃ証明できるようなモノではないですよね。で、この続きに笑ってしまったのですが、だから否定もできなんだそうです。決して。これはすごい強みだと。だからこそいわゆるカギカッコつき「自由意志を持つ個人」というものをそれが錯覚であれ真実であれ私たちは自分について信じ続けつつ、社会の仕組みとして受け入れてもいられるというわけ。
#定義できない存在、というのは存在としては強力な存在なのですね。実験や観察や論証によって何かが否定されかけてもその何かの定義のほうがかわってしまう。すりぬけてしまう。逆に言えば実際のありようにかかわらずそれが存在してほしい、そうでなければならない、という強力なバイアスがかかっているということなのでしょう。
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