2004 10/15 00:34
れつら
>724
>足を負傷し、最後まで心配された谷亮子選手は、結局金メダルを獲得したし、本人も今
>までで一番嬉しいと言っていたが、その嬉しさとは、どういうものだったのだろうと。
>もしも彼女が出場を辞退し、補欠の選手の活躍に一生懸命声援を送る姿を見ることが出
>来ていたら、日本のオリンピックもいいものだなあと、私は心から喜んでいたに違いな
>い。身体の不調に我慢に我慢を重ねてする競技に、どんな喜びがあるのだろうと。じっ
>くりと、時間をかけて完治させ、心からの走りを楽しめるまで。
さてはて、ここに関してはさっぱしお門違いな問題のような気もするんですが。
まず真っ先に申し上げなきゃならんのは、こればっかしは個人の価値観の問題だし、
谷選手の取り組み方如何に「こうやってほしかったなあ」だのなんだの言うのは
それこそ要らぬ重圧をかけまくってるにほかならんのではないでしょうか。
しかもそれが試合が云々でなくて、取り組み方の問題ですから。
大事にしたいのは、誰に言われるでもなく主体的に
「やらねばならぬ」と思う選手の気持ちではなかろうか。
風さんの話からはそういう風に感じられただけに、
なにやらおかしいなあ、と思ったのであります。
以下はまあ、僕の考え方の問題ですけれどね。
どんな身体の状況であろうと、自分に今可能な最善を行う。
一見して自分が無理だ、と思うようなことでも、真に限界を見るまでは続ける。
武道というのはそういうもんだと思っております。
別に武道でなくとも、アスリートっちゅうもんは基本的には純粋に自分の体で
どこまでできるのか、見てみたいもんなんじゃないでしょうか。
そいつを確かめる機会を与えられた、確かに足は悪いかもしれない、
それでも、自分にできると思える部分があるのならば、信じてやる。
そいで結局結果を出せた谷選手は素直にすばらしいと思うし、
逆境ってのに日本人はのせられやすいですけど、
まあそれはおいとくにせよ、他人や自分との闘いから勝ち取ったもの、
そいつはどんな前提条件があったにせよ、それそのものはすばらしいと思うのですがね。
誤読等あるようでしたらばご遠慮なくご指摘くださいね。