料理で俳句⑫パスタ
SDGs
本日のお品書き~パスタ~
食ひにゆく西洋うどんを空駆けて
日本のパスタの夜明けは1984年である。それまではスパゲティといえば、ふにゃふにゃのナポリタン。ママーの茹でパスタにケチャップと毒々しい食紅で色付けされたウィンナーの小口切り、ピーマンの千切りをいれて炒めたものが定番だった。フランス料理と比べなんとも貧相なイタリアであった。(もちろん東京には本格的なイタリア料理も存在した。例えばソニービル7階には「サバティーニ・ディ・フィレンツェ」などもあったが、在京イタリア人か一部のイタリア通のあつまるレストランだった)
フランス料理がフランス直輸入であり、イタリア料理は米系イタリア人がアメリカ経由で持ち込んだのもこの不幸の原因だった。醸造文化(ワイン)の料理が蒸溜文化(ウイスキー)の国で旨くなるはずがない。
1984年突如、パスタ戦争が始まった。日本製粉は「バリラ」を、日清製粉は「ディ・チェコ」を、カゴメは「ブイトーニ」を販売し始めた。私は「ディ・チェコ」の広報・広告担当者として、その前年イタリアに飛んだ。ディ・チェコとは何者?西洋うどんとどこが違うのか。高所恐怖症で飛行機が大嫌いな私も、さすがにこのイタリア出張は魅力的だった。
出発は1983年2月6日。その日東京競馬場のメインレースを当てた小金を懐に成田を出発した。今では考えられないアラスカ・アンカレッジを経由して、イタリア珍道中がはじまった。いやはや、どうなることやら。(つづく)