[345]渡邉建志[2011 01/12 01:35]★3
なあっさりさに逆に死を悼んだはずではなかったか?そこで、直子の浮いた足が、土の中をはだしで歩いてきたように汚れているというようなリアリズムなど、誰が求めているだろうか?京都の直子は、ワタナベにとってもう自己完結、完成してしまった美しい円環であって、だからこそあの完璧な裸体の美しい場面があるのに、トランはつきに浮かぶ完璧なヌードと言う絶好の映画的風景からは逃げ(「こんにちはマリア」のゴダールなら完璧に撮れたはずだ)、京都でもセックスを試すふたりという、原作ファンの誰も見たくない、どうしようもなく原作の本質と正反対のシーンを長々と撮ってしまう。その一点だけは許せなくて体がわなわなした))。直子は「素の
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