[406]nemaru[2016 06/29 12:52]★1
がほとんどで、男が入れる話は上位には来てませんでした。どっちも入れるですけど、わたしはゴーヤに入れて、女の人はゴーヤを入れるんですね。読んでみるっていう言葉にも、そういう側面があるのかなとふと思いました。流入する部分と、こっちから向かおうとする部分があって、向かおうとしなくても、もともとあることにはあったっていうことを3を読んでいて思いました。でも、それをいちいち気づいていたら前にすすめないよ、という気持ちがあって、精孔を閉じないと人間は生きていかれないと反発もおぼえました。割り切る前の情景というか。それで、わたしは「僕」はかなりロマンチッカーで、ちょっと嘘つきなんじゃないか(無理してるんじゃないか)って、思います。「感じ方」を「読む」と言い換えているわけではないのは、「読んでみる」とことわっているからで、最後の抒情から受ける印象を素直に読もうとすると、その前に錯綜してる伏線をうっちゃらないと読み切れない気がして、それで何度か読み返していると、かもしれない運転とできないこともない運転の箇所を、私自身がかなり断定して恣意的に読んでしまってるな、と反省もします。
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