[385]高橋良幸[2016 04/22 08:25]☆
とになるのでしょう。
しかし、それを今の時代にこのような形態で、わざわざ詩に書く必要があるだろうか。書いてもいいかもしれません。でも、できれば予測範囲内のものではなくて、既視感の少ない詩を読みたかったと思いました。既視感もこの手の詩には必要なのかもしれませんが、もう十分に実物のテレビで行われている(と思われている)ことだと思いますし、巷には権力の不正や世の中の不条理を描くエンターテイメント作品が多数あり、これよりもひどいことがネットにごまんと書かれている中で、そのまま詩に再構築する必要があるのか疑問だ、というのが正直なところです。何か新しい観点を付加することができなかったのか、と思います。この詩は先に挙げたエンターテイメント作品のように対岸の火事と受け取られるか、もしくはネットに溢れる言説のように誇大広告だ、と受け取られる可能性があると思いました。せっかく詩なのだから、もっと個人の実感に引きつけるような文章だったらよかったのではないでしょうか。
「太陽」のくだりから、実は民衆は賢く隠語を使えている、というメッセージなのかとも思いましたが、そうでもないかなあ。以上です。
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