[347]高橋良幸[2016 01/15 08:13]
の光だ、
* そしてこの粒は来るべきこの夏の光。

などとすれば、光の粒子、という言葉も生きてくるでしょう。タイトルとの関連も強くなります。さらにいいことは、父が庭いじりをしていた事実が1連目から読者に暗示されることです。元の構成のままでは、最終連に行くまでわかりません。父のことを知っている人なら良いでしょうが、父のことを知らない人にこの詩を読ませるのであればこのような暗示をしておいても良いのではないでしょうか。梓さんが実際に見たのは眼鏡だったのかもしれませんが、見えない事象が詩に書いてあるのと同様、詩に書くのは肉眼で見たものでなくても良いのではないでしょうか。
以上です。
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