作者からのコメント
2003/3/16. 2005/10/16、「裏庭朗読会」のために改稿。

右側のプロフィール画面を消して一行が折りたたまれないようにして読んで頂ければ幸いです。

>ザラメさん
ureshi.

>塚本さん
とても嬉しいです。

>読み手さん
東京には空がないといった人がいますけれど、それでもときどき僕には空が見えます。空は空だけでは明るすぎて、僕にも長く見ることは耐えられません。僕の目にもまた透明なわっかが泳いでいて、目を動かすとぼうふらみたいにぴゅんぴゅんします。貴方のそれとはまた違うのかもしれませんが。「三四郎」という話には、今、数えてみると、空という言葉が46回も出てきました。あるいは「空の話」ということも出来るかもしれません。美禰子と三四郎は仲良く空を見上げたりします。彼もまた池に佇み、

>三四郎がじっとして池の面(おもて)を見つめていると、大きな木が、幾本となく水の底に映って、そのまた底に青い空が見える。

という場面があります。空は空だけだとまぶしすぎるけれど、池の底にも現れるし、美しい人の目にも現れるし。それに、空だけを視界いっぱいに見上げると、たぶん光量が多すぎて、あと、焦点が遠すぎて僕の目には難しいのですが、たとえば空の前に美しい人を置くと、空も人も美しく見えて本当にいいですよ。このまえにみた映画の構図で、下から見上げたキスシーンがあったようなきがして、正確には覚えていないのです、地面は見えず、しずかに空と二人のかげがあり、それはただとても、とても美しい一瞬だったような記憶だけがあります。

僕はいま、とても空/emptyで、sora と同一になりたい、飛びたい、という思いによくkara れます。イカロスのようにsoko に堕ちるのでしょう。しかしsoko は堕ちるべき場所ではなく、soko, kara, to--ku を、見上げるべき、場所なのかもしれません。イカロスはsora で一人ぼっちだったけれど、soko, kara, 見上げるのはたぶん、一人ぼっちでは、ないでしょうから。
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