作者からのコメント

わあ、こしごえさん、お読みくださり嬉しいコメントまでいただき感謝します。が
これ、詩集に掲載しようと思っていますので、また推敲改訂するかもしれません。期限が付くと焦りからなかなか書ききれませんでしたし、やはり妥協もしなければならない。本当にありがとうございます。

やあ、りつさん、コメントありがとうございます。
ご承知のように先の二作品からの引用に付け加え、その多くは取捨選択しています。
作図的意図的に書き込みしている部分も多いので、ちょっと解説してみましょう。
少しくらい自分で解説して作品の強度が下がるなら、はじめから強度なんてないのです。僕はそう思う。
『松林図屏風』ご存じのように長谷川等伯による国宝作品ですが、あの墨一色で描かれた背景に浮かび上がる空間の幽玄さと存在感。
あれを言葉で幽美に表現するならば、どのような様式にすればいいのかをずっと考えています。
そこで音が一番適しているのではないかと。
はじめもっとわかりにくい前衛表現にしてやろうか。などと考えてはみたものの、わかるようなわからなさ。このことにまだ自信が持てない。という結論に至ります。
わかるようなわかりにくさも、わからないようなわかりにくさも、喩えられたら同じように機能しますが、この要点の違いの尺度は大きい。
わからないものをわからないように言葉に置き換えてもそれは自己満足だけで終わってしまう。
子供たちのように、ほとんど他人を意識せずに自由に書き込めればそれが一番いいことなのてしょうが、
我々大人は読む読まれる聞く聞かせる、という経験を積んできています。
自己を評価するとは、他者としての自分を評価するということにもなるのでしょう。
そこで幽玄な空間美を音で意識すれば、古来から伝わる伝統楽器が思いあたります。
雅楽に鳴り響く自然に培われてきた微細な音の響きですが、
あの時代劇から流れでる武満徹の暗閉と包まれた音の響きでは、今日という現代を介して相応しいとも思えない。
そこで語り手イコール作者としてのいまを表現してみたつもりではありますが、
さてどうでしょう。
また推敲改訂するやもしれません。29日までを期限に。


りつさん、再コメありがとう。
その辺りをわたし自身も感じていてね。これはあの松林の奥行きから時空を彷徨ように縦横無尽に読んでください。という意図なのですが、朝からずいぶん弄ってしまった。ほとんど消して棒線か点線にしようかとも思ったのですが、やはり空間の雰囲気を出したということで、もう少し瞑想のひらめきを待ってみましょう。



本田憲嵩さん
田中宏輔2さん
お二人様いつもお読みくださりありがとうございます。

梅昆布茶2さん、お読みくださりありがとうございます。

花野誉さん、お読みくださりありがとうございます。

海 さん、いつもありがとうございます。


---2025/09/26 08:53追記---

---2025/09/26 08:55追記---

---2025/09/26 08:56追記---

---2025/09/26 14:22追記---

---2025/09/26 14:27追記---

---2025/09/27 01:10追記---

---2025/09/28 05:38追記---

---2025/09/29 11:49追記---

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