作者からのコメント
私のこの作品を読んで頂いた方々には、お礼のつもりで、それぞれの方の作品を読みに行って、そこにわたしのコメントとお礼の言葉を添えております。(普段まったく他人の作品を読みませんので、ここに書くのも久々なこの折に、読む機会をいただけるのもとても感謝です)
尚、森田さんはコメントを残されてるので、それへのお返事をここに書きます。
※ ※ ※
森田さん お久しぶりです、こんばんわ。
本作のテーマは、現代文明のなかの日本の近未来、というイメージで書きました。
なので、「もう手遅れなこと」という印象を受けられたのはまさに合っていますね。
ただ「という感情」というよりは「という冷めた批評認識」かも知れません。
振り返れば元来詩人は預言者ですから、敏感な感受性から直感した、近未来というよりすぐそこまで来ている来年、再来年と言った近い現実を予言するような感じ、感覚で新たな戦争の予感を戦車という語で、敢えて唐突な印象になるように結んであります。(一語浮いてる感じな所に特別な意味を込めた、そんな箇所ですね)
おっしゃる通り、最後の一文を除いて、詩らしい詩行を続けて連ねた方が、作品としてより良くなるかも知れませんが、今回はラストの一行にむしろ比重があるので、そうした改訂はまた戦後(?)ですね笑。
もとより詩として書いてあるものですから、読み手がどう読むかは自由なので、様々な解釈があるだろうし、鑑賞の仕方も多様な方が豊かで面白い筈ですが、
もし、作者がこれを散文で書いたとしたら次のような趣旨になるだろうと思います。
都市文明が地球を破壊しながら無邪気に生活システムを惰性的に続けようとしてるけれども、コロナ以降、どうも歴史は歪みはじめているのを、お気づきになりませんか(戦争に向かって)
という、そんなモチーフで、作者の方は書いたからです。
ですが、散文では表現しきれない、直感的で感覚感性的な、電光石火の速度でのイメージやインスピレーションの伝達・表現をしたいからこそ詩にして書いたわけです。
ですから、例えば、この詩のなかにある表現、
「全てを置き去りにするような 足速な歌」
というのが、時計の秒針のことだろうな、と解る人にはきっと解るだろうと思います。
またおそらく、作者の私がまだ知らずにいるこの作品の意味を、目からウロコで教えてくれる批評というのも、もしかしたら、いやきっと、あるに違いありません。
---2025/06/03 02:35追記---
---2025/06/03 02:55追記---
---2025/06/03 03:03追記---
戻る
編集