作者からのコメント
今晩は 鵜飼さん 。ところで鵜飼さんて、もちろん本名じゃないですよね 。本名かな? どうでもいいですよね 。強い名前だ。鵜飼と名前を聞いただけで僕なんか操られそうになっちゃう 。もちろんこれも僕の勝手な思い込みです 。と言う様なコメントにしても普段ではまったく使用していない言葉使いで僕は書いています(地方だからね^^)。しかし、考えてみたら変ですよね、書き言葉って。べつに詩でも批評でもないのにこれは普段の自分ではないわけ。(だから何だ?)そうなんですよ 。僕は七変化。顔が見えないから様々に姿を変えることができるわけ(これは楽しみ)。 だから何だって ? 世界の主要な国々の人たちからは、今の日本人ってどんな風に見られてるのかな。べつに気にならない。島国でもあるし 。
ただ欧米人に比べると圧倒的にパワーが劣る。スポーツにしても音楽にしても。欧米型のドラマなんかみてるともうワァオーって感じで、付いていけない 。実際、外人ばっかのパーティーなんか出たらどうしようか…なんてあり得ないことを独り思ったりしてみるわけです 。ノリノリ、ノリが違うわけですね(の前に、そもそも会話ができない(笑)。
そんなパワーで劣る日本人も欧米人の真似をする姿が滑稽にみえてきたり、いや、負けてはならじと、か細い身体で独自の文化とやらで踏ん張ってもみたり。
あれ?どうして話しがぜんぜんキレのない方へ逸れてしまいました。おもしろくないでしょ^^;
そろそろここでホンネに移りましょうね。
ときどき書かれた詩よりも批評の方が上手いなと感じる人がいます。
これは他人の事はよく見えても自身の事は見えにくいからでしょう。
おそらく殆どの人に当て嵌まることかもしれない。
僕は批評そのものを否定はしていません 。
そもそもどんな詩だろうと否定できない 。
これが詩を読む構えにあります。なぜなら文字を信じているからです。(もちろん書かれた内容とはべつにして)言葉(詩)には裏切られても文字が裏切るわけではありません。
それでもこの詩はいいとか、気にいったとか、ここはよくないとか言っている 。 あなたがおっしゃるようにすべて自分の勝手な思い込みから始まるわけです。
誰にでも好き嫌いはあります。時が過ぎれば見方も変わり、逆に嫌いが好きになることもよくあるでしょう 。文芸と評するものは作家論とか作品論とかで批評も語られます 。これは一体何を基準に語られるのでしょうか 。語る自分自身ではないのでしょうか?
書かれた作品を個人的な判断で優劣をつけ選別するのは勝手でしょう。それには同意します。
わたしもよくやるように中身のない、ただふざけた作品にはそれなりの評価も妥当でしょう 。
しかし稚拙と評するならばその理由を示さなければ対応は間違っている 。
世間では中二病と言う喩えがもてはやされています。
これは、ただ相手と泣きを共有したい、そして自身を慰めるだけの作品に付けられた蔑称でしょうが、それにも充分理由は存在しているわけです。情脈としての存在理由です 。
それをただ稚拙と評するのならその理由を述べなければ正しい批評とは言えない 。稚拙と低劣をは同じ土俵で区別してはいけない。
はじめから粗を探すような見方をしてはいけないのです。 作品には往々にして作者に対しての思い込みが生じている。書かれた内容よりもその価値は作者に向けられる。その見極めを怠り判断する人が多い様な気もします。
某サイトで活躍されている田中アツスケさんと言う詩人がいます。おそらくご存じでしょう。彼なども誠意を込めて書かれた作品に対しては、決して上手くはないが稚拙などと言う捉え方はされない方です。※(部分的にはそのように表現されても作品全体をそうは捉えない)
そう思う 、今日この頃が長くなってしまったので明日になっちゃいました 。(なぁんだ程度低うー)って思われちゃいそうなんで、もっといろいろと付け加えたいのですが、そろそろあたまが混乱してきたので突然打ち斬ります 。誠に逸脱されたコメント返しではございますが、誤字脱字は平にご容赦を。ありがとうございます。
※すみません訂正しました。田中アツスケさんでしたね。なんでいつも間違えちゃうだろ。



左屋百色 さん コメントありがとうございます。 瞳孔が閃めいたらいつでも読ませてくださいよ 。あなたの閃きは刺激があって楽しみだ 。


大きな瞳の殿上 童さん いつも お読み頂きありがとうございます。



草野 大悟2 さん コメントありがとうございます。
あちらに載せられたのは原文のまま、それは真実なのでしょうか? たまたまでしょうが、文極の投稿掲示板にごみ不燃物の広告も載せられていたり、載せられた意図などをいろいろと解釈分析したり、広告に気づいて詮索してみたり(笑)…。しかしそれが原文のままなら、あの作品は偶然がもたらした傑作かもしれませんね 。
皆さんから評価の高かった最後に置かれた(その他従前通り…)でしたか、間を空けられて置かれたあの記述を見たときには思わずじ〜んときてしまいました。これは真実です。あの間違いも的確な箇所にハマっている。あの間違い、あれがなければあの親父の遺言状が詩まで昇華されないとわたしは思います 。
もちろんこの情動は片親でも亡くしたことのある人間でもなければわからないかもしれないですね 。
以前わたしが述べたように、文字そのものがもたらす偶然の意思が新しいものとしてあなたにはみえてこられたのではないでしょうか。そんな気がしております。

あちらではすぐに消えるようにセットされているのでしょう。
何人かの方にもコメントを差し上げたのですがほとんど消えました。
いろいろと悪口も書きましたからね。そう受け取られるなら(何を言ってる馬鹿やろう)と、反論でも頂ければ事は前向きに進めたかもしれませんが、致し方ないですね 。お互い年齢に滅することなく頑張りましょう 。






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