ポイントのコメント
[たりぽん(大理 奔)]
異常というならば、人間という生き物自体が異常そのものなので「異常な時代」というよりも「人間の異常さに気付いたわたし」という感じを受けました。ま、異常と叫ぶ人間が一番異常なのだろうとわたしは思う、つまりわたしも異常ということで一票。 追加:異常さが隠されていたかどうかは歴史をひもとけば「隠れていなかった」ことが明らかじゃないかな。より広く世界や自分の知らなかった世界の出来事を知ることの出来る世界になった=気づき、であって、隠されていたのではない。知らなかっただけだと思うのですよ。いまもっとすごい異常なことがどこかで起こっていても気付かないのは、きっと知る術がないだけです。 更に追加:知る術がないということと隠されていたということは同義、ではなく結果と原因ですよね。隠されていなくても知ることが出来ないことは有るわけ。まあ、このあたりは話が拡散してしまうので「詩」のなかで示すのが私のすることなのでしょう。これは宿題。ひとつだけ言えるのは「異常(な時代)」を叫べる人は、その根拠となる「正常(な時代)」を普遍的ものとして存在すると思いこんでいる、というところが「異常」だと思うんですね。今がほんとうに異常な(時代)のかの検証をきちんと提示しないで言い切る事が出来る異常さ。それは人間誰もが持っている思いこみの異常さではないでしょうか。ま、その異常さがいいですね。 私が生きていくために、私の知らないところで多くの人が死んだり苦しんだり傷ついているかも知れない。それを知る、または想像力を働かせながらそうかも知れないと仮定する。それは私にとっても苦しいし居心地が悪い。でも、だからこそ生きていこうと。生きていくというのはそうやって背負うことなのかなと、最近思ったりしています。最後は雑談でした。これにて投了。
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