ポイントのコメント
[ハァモニィベル]
詩に特有な形式をつきつめて辿り着いた固有なスタイルになっていますね。 元々、詩が持っている:行分けにした短文を連ねて書くスタイルを、極限化することで、 イメージ喚起作用を追求するような試みは、この作品では成功していると思いました。 俳句だとどうしても和式というか旧式な感じから抜け出せないけれど、 同じ様な風景の写生でも、このスタイルだと、現代的でスタイリッシュな感じに描ける。 この様式は言わば、ジグソーパズルの完成画面から飛び飛びに部分部分の塊を、幾つかランダムに 取り去って、敢えて創った未完成のジグソーパズルの画面で、そうすることで、ただ完成した ジグソーパズルの絵画面(えがめん)では退屈になる印象をなくし、むしろアートな感じ・雰囲気を醸し出せる手法だ、と言えそうです。 なので、失敗すると単なる未完成の不良品になってしまうけれど、 成功すれば、なんとなくカッコイイ作品になる。 私はこの作品からこの様式をそんな風に捉えたので、次のような感想を持ちました。 ジグソーパズルの完成図から部分部分のカタマリを取り除いて創る この様式は、元の風景が  <ありふれた風景>…(街の景色や、海辺の光景、夜景など .etc) のとき、それを新奇なもの、雰囲気のあるものに変える効果が大きい。しかし、 この様式は、元の風景が  <そのものに魅力がある風景・対象のとき>には適用できない。  というか、適用する必要がない。 例えば元の風景が、愛する人の顔写真であるとき、生前のペットの姿画像であるとき等 .etc こうした、描かれた対象そのものに魅力がある場合は、画面に欠損空間を作るのは 逆効果になってしまう。(まあ、一度破り捨てた写真をセロテープで張り合わせたものは味があるでしょうが) なので、この作品は、元に在るのが<ありふれた感じの都会の風景>なので この手法が生きて、スタイリッシュな雰囲気となり成功している。そう(わたしは)思います。 あと、言うまでもない事ですが、誰でもこの手法が上手に使えるわけではないのは、 何処を取り去り何処をどう残すか、はセンスの要る作業だからで、そのセンスの良さもこの作品には感じられました。 《詩的なセンス》というのは形式の方にあるわけではなくて中身の方に在るので、この作品にセンスが感じ取れるのは 人々の暮らし、というか都会生活を、水槽の中に見立てた、発見的な眼が、面白いから。詩だと感じさせる。 ただ、この淡い形式だと、その発見的な眼もぼやけた感じになるけれど、それが、『水槽』という題とマッチしている ので、形式と中身に違和感がなく、うまく成功している作品になっていました。 (わたしの「詩の水族館」を読んで頂き有難うございました)
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