ポイントのコメント
[ゴースト(無月野青馬)]
アラガイさんこんにちは。
この作品は芸術=表現の哲学を表した詩ですね。
>感情の極みこそが芸術の発端なのだと
>意識を超えた最高の美感を擬似体験できる
などの箇所には、詩を借りてアラガイさんの基本的な芸術の捉え方が示されていて、読者が読者自身の嗜好とは別に、解釈として芸術論として、人類史としての観点から、この捉え方に一定の妥当性(共感を)を与えられるか、表明出来るかどうかで、この作品の評価は別れてくるのだろうと思いました。
けれども、この>“感情の極みこそが芸術の発端なのだ”や >“意識を超え(て)最高の美感(は)擬似体験できる” という解釈は一般的な芸術論の中でも古典的な解釈であると思います。
読者の側も、このような芸術論は既に学習している場合が多い訳です。
だから本当にこの作品の評価が分かれる点は、
今このような芸術論的な詩が投稿される意義についての価値判断だと思うのです。
実はこの点こそに僕自身はかなり関心があり、
最近の僕は、詩に限らず、この作品のように、作品の深奥から芸術に対する古典的解釈、芸術=表現の作者なりの定義・ポリシーを感じさせる作品と、そのようなある種の枠からは初めから自由な作品との違い、そして、その両者の評価のされ方の違いに、関心を持っているのです。
個人的には、この作品のように「表現の基盤」を描く作品に注目しています。
(以前はコメントを消去したりもして、自分の考察を載せるべきか載せないべきか悩んだりもしたのですが)
最近の僕は注目すべき作品には、消さないコメントを残してみようと思い始めていて、
このコメントもその一環であるのですが、
でも僕は、自分の見る目くらいでコメントをすること自体、本当は控えるべきだろうなとも思っているので、このようなことは滅多にはしないと思うので、あまりにお気になさらず、ご覧になって下さればと思いますが、
個人的には、今現在に於いて、この作品のように芸術の古典的解釈=芸術の普遍的解釈が作品作りの基盤になっている作品には一定の価値があるだろうと思っています。
「自画像」というテーマ自体普遍的であるので、
背景が大きい訳で、扱う人が違えば切り取り方で千変万化するテーマなのですが、だからこそ、人を代えて描かれる度に古くて新しいものが宿ると思います。
この作品にもこの作品だけの味わいがあり、
そこに注目出来ました。
それでは、この辺りで失礼します。
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