「批評」の「根拠」について/ななひと
着する。
もちろん精密な批評、妥当な批評というのは存在する。しかし、それは本質的に正しいからそうなのではなく、「=」に対する理由付けがある一定の妥当性をもつ構造をつくっており、「=」に対する理由付けが、簡単な批評よりも複雑である、というところに帰する。
ごちゃごちゃと書いたが結論は「どんなものでも批評でありうる、しかし、よりよい批評とは、その批評自体に対する理由付けの如何によって変わる」ということである。私たちは「正しい批評」が存在すると考えては決していけない。「批評」は、「批評」をつねに自己「批評」する過程において成立する。それは極めて動的な「行為」なのである。
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