ひとりぼっちの裸の子ども/佐々宝砂
かけ離れていると思う。私はそのことを思い出すととてもさびしくなる。
私のなかの「ひとりぼっちの裸の子ども」は、もしかしたら、もしかしたらだけど、誰かに何かを伝えたいのではないのかもしれない。伝えたいことなんか何もないのかもしれない。私のなかの「ひとりぼっちの裸の子ども」は、誰かと言葉を共有したいのだ。誰かといっしょに歌いたいのだ。谷川俊太郎の詩「ひとりぼっちの裸の子ども」がそういう意味の詩であるかどうか、私にはわからないけれど、「ひとりぼっちの裸の子ども」というさみしい言葉は、私と誰かをきっとつなげてくれるだろう。
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